質と量

こんばんわ!!

 

本日2回目の更新です(*^_^*)

これも読んでくれている方々がいるから書きたい気持ちが湧いてきます。

 

今回のタイトルは「質と量」なのですが、タイトルからしたら物理学でも語るのかと言わんばかりですが、僕はバカなのでそれはありません。

 

最近、地元に帰ったら凄く商店街が廃れていました。どこもかしこも閉店だらけ。小学校の頃はあんなに賑わっていたのに、今では人がちらほら歩いてるだけで店もほぼ9割が閉店しています。もう商店街ではなく、ただの道。

 

原因はやはり近くの巨大なショッピングモールの誕生!!

 

ショッピングモールに行けばそこで買い物や食事の全て揃うし、しかも安いので商店街は勝つことが困難。事実、ショッピングモールが出来てあちこちで商店街が潰れていっています。

 

政治家が「地域活性化だ!!」なんて言っていますが、ショッピングモールを建てるとそれは厳しくなります。大が小に勝つのは当たり前だからです。地域活性化を考えるならまずは商店街から盛り上げるべきではないでしょうか?

 

ちょっと前にある商店街のパン屋さんがモールで売っているパンに針を入れて、パン屋のおばさんが捕まったというニュースが流れました。当然ながらおばさんがやったことは立派な犯罪です。しかし、僕は切なくもなりました。

 

長年やってきたパン屋だから地元に多くの固定客もいただろうし、そこに至るまでに苦労もたくさんしたと思います。その積み上げてきたモノが、モールができた途端に全て持ってかれて生活が苦しくなるとそりゃ怒りたくもなります。

 

こういった問題はやはり時代背景にあると僕は考えていて、タイトルで書いた通り質より量の時代になったからだと思います。

 

例えば飲食店もそうですよね。丸〇製麺所のように安くて早いうどん屋ができたことで、それまでやってきたうどん屋はたくさん潰れただろうし、寿司屋だって回転ずしが出来たことでたくさん潰れたと思います。

 

丸〇製麺所やス〇ローって僕もよく行きますが、凄く美味しいです。値段から見れば質も上等だと思います。

 

しかし、こういった店には長年かけて修行した職人はいません。それとレシピなんかも決まっているから、おいしいものをつくると言うよりはコスト削減していかに上手くお店を回すかが経営者側の考えだと思います。

 

一方で僕の知り合いの寿司職人さんは「職人が金のこと考えたらあかん。旨いもの食べさせることだけ考えい!」と言っていました。今の時代には厳しい考えかなと感じました。

 

現在はおいしいラーメン屋のレシピも売っているらしく、下積みの修行などなくてもお店が出せる時代みたいです。

 

僕の通っていたラーメン屋の店長との会話

 

僕「おいしいラーメンですね!どこで修行されてたんですか??」

店長「修行??一切してないよ。だって俺は前職が車屋のディーラーだもん。」

僕「え?!じゃあこの味は?」

店長「今レシピ売ってんだよ。」

僕「・・・・。」

 

このラーメン屋は雑誌にも取り上げられていて「本格派」と書かれていました。それを見て少し笑ってしまいましたけど、そんなもんかもしれません。

 

ある有名な海鮮丼屋の店長も「いかに安く魚を仕入れて、利益を出すかが大事。修行はいらない」と言っていました。

 

昔なら寿司屋の修行って下積みが長くて、トイレ掃除から始まり厳しい上下関係を学んで何年もかかるイメージでした。しかし、今は半年で一通り学べる専門学校もあるくらいで、もはや何年も修行というのは古いとされてきています。

 

多分だけど、今の若い子たちと職人世代の人たちでは考え方にギャップがあるから厳しさをそのまま強要しても合わないと思います。それはどっちが悪いとかではなくて、時代背景が違い過ぎて考え方が合うはずがないから。

 

しかし現在の時代背景から見れば、下積みを経た職人よりもある程度を平均的にこなせる作業員の方がニーズが多いと僕は思っていて、そしてこれからもそれは加速的なものになっていくと考えます。

 

職人から作業員、そして最後にはAI化。これはもうあちこちで聞く話ですね。最期には人すらも必要なくなる。

 

やはり大量生産の裏側には機械化が絶対不可欠ですし、だからこそメリットとして安く物が提供でき、僕たちは生活がしやすくなりました。

 

しかし、そう言ったモノからは本物は生まれない。やはり本物は下積みをかけて深みのある職人さんから生まれると思います。

 

日本のモノづくりの良さの根本はそこにあったと思うですが、大量生産が当たり前の現代ではそれも失いつつあるのかもしれません。

 

何かを得たら何かを失うのならば、豊かさと引き換えにだんだんと心を失っていくのかもしれませんね。

 

モールや回転ずしを利用している僕が偉そうに言えませんが・・・

 

 

 

 

 

 

子供の遊び場社会

おはようございます!

 

今日は仕事お休みなので朝に書かせていただきます。

 

過去のブログにも書いたのですが、僕には4歳の長男と2歳の次男がいます。二人とも周りの人たちのおかげで元気にすくすく育っています。

 

休みの日は公園で一緒に遊ぶことも多いのですが、たまにモールの中にある子供の共有遊び場スペースで遊ばすこともあります。

 

そういうとこって親と子供の接し方とかが見えたりして面白いなと思うのですが、それと同時に遊ばせる難しさを感じたりします。

 

子供たちがみんなで使えるおもちゃの数は決まっていて、そのおもちゃを使えるのはある意味早い者勝ちなのです。

 

子供にも性格があるから積極的に取りに行く子はすぐ使えますが、控えめな大人しい子にはなかなか使えないのが現実。順番がないから仕方ないのですが、やはり控えめな子にはやりづらい場所かもしれません。

 

しかし、そこで注目するべきは親の行動だと僕は思っていて、自分の子供がおもちゃを独占しているなら分けてあげるように言うべきだし、ひとつも取れないなら取りにいけるようにサポートしてあげるのがいいのかなと僕は思っています。

 

たまに我が子がおもちゃを独占して周りの子が困っているのに、スマホをいじって知らんぷりしている親を見ますが、あの姿は気分よくなれません。

 

とうぜん独占している子のおもちゃを取りにけば「ダメ!!」と怒ります。しかし子供が悪い訳でなく、そこは親の出番だと思うのです。周りの子たちとおもちゃを共有する大切さと独占してはいけない理由を話してあげないと子供にはわからないからです。

 

遊び場スペースって元気に遊ぶことも大切ですが、子供なりに社会を学ぶところでもあるんじゃないかなと僕は思っています。考えが硬過ぎますかね?(笑)

 

僕だって34歳にして常識を知らず怒られることはあります。だけど言われて初めてわかります。子供の頃に言われるのと大人になってから言われるのではダメージが全然違います。

 

だからこそ僕のようなダメな大人ではなく、自分の子たちには子供のうちに学んで、恥をかいて成長してもらいたいと思います。

 

 

 

 

こんばんわ!!

 

今回は歌について書きます。

 

皆さんは歌をよく聴きますか?歌の力って凄いから多くの人が歌を聴いて元気をもらってるんじゃないかと思います。

 

僕は通勤途中に歌を聴いてテンションを上げています。聴く曲も様々ですし、そのときの感情によって聴きたい曲は変わります。

 

歌の好みって人それぞれで、応援するアーティストの曲を中心に聞く人もいれば、ジャンル問わず歌詞やメロディーで決める人もいると思います。僕は後者で見た目に似合わずヒップホップなんかも聞いたりします(笑)ちなみに見た目は眼鏡をかけた大人しそうな男です。似合わないでしょ?

 

歌を聴くときには自分の考えへの共感だったり、元気がないときには慰めてくれる歌を聴きます。自分は元気がないときに歌を聴いて泣くことが多々あります(笑)おもいっきり涙がボロボロと出てきます。

 

友達とカラオケに行ったとき、歌に感情が入り過ぎて泣きながら歌ったこともありました。友達はドン引きでした(笑)

 

自分を支えてくれる曲は忘れられないですし、流行とか関係なく歳を重ねてもずっと聞いています。

 

皆さんにもきっとマイソングがあると思います。

宜しければお勧めのマイソングをコメントしてもらえると嬉しいです(*^_^*)

 

僕の元気のないときに聴く曲はこちらです。

ヒップホップだけど先入観を持たずに一度だけ聞いてくれたらと思います。


【Official Music Video】SHINGO★西成/ここから・・・いまから [Pro.by NAOtheLAIZA/Dir.by kurofin] (P)(C)2017 昭和レコード

 

 

第六感

こんばんは!

 

突然ですが、皆さんは人間の第六感を信じますか?

 

いきなりこんなことを聞いたら頭おかしい人みたいですね(笑)

 

変なセミナーや宗教の勧誘ではないので安心して下さい!(笑)

 

今日のテーマは人間の第六巻についてですけど、皆さんのお考えを是非聞きたいです。

 

第六巻、英語ではシックス・センスと呼ぶそうです。昔そんな名前の映画あったような・・・。

 

僕は結論から言わせていただくと信じています。偶然とも思えない不思議なことも過去にありましたからね。

 

今から書くことって人によっては頭おかしいだろって思われるかもしれませんが、笑ってもらって構わないので時間ある方に読んでいただけたらと思います。

 

僕が第六感と感じたことは結婚してから子供を出来るまでの話です。僕たち夫婦は28歳で結婚し、奥さんは子供を欲しがっていました。僕も子供は大好きですし、それは同じでしたが欲しいタイミングが違いました。

 

僕はのんびりと時に任せようって言っているのに対して、奥さんは出来る限り早く欲しいとのことでした。だけど、僕は焦る必要は全然ないと思っていたのです。何故なら僕たちの元へ生まれてくる子は常に僕の背中にフワフワとついてきていたからです。

 

ね?かなり頭おかしいこと言ってるでしょ?(笑)

 

僕にはいつも背中にいずれくる子の存在を感じていました。それは目に見えると言うよりは、感じると言った方が正しいかもしれません。もちろん言ったところで分って頂けないのは承知の上です。

 

僕は不安な奥さんに「いつも俺の背中にいるから大丈夫だよ。」って言いました。

 

奥さんからしたら意味不明だから「そんな訳のわからないこと言って誤魔化さないで!」って怒られました。そりゃそうですよね。

 

子作りを一度終えたとき、「あー我が家にいよいよ来るなー。こいつが。」と言いました。奥さんは「たった一回でこないでしょ。」と聞き流していました。

 

ある日、会社の通勤途中に背中がフワッとなり何故か「奥さんが妊娠した!!」と直感で感じました。横にいた係長に「いやー奥さんが妊娠しましたわー!」と伝えると不思議そうな顔をしてこっちを見ていました。

 

帰宅後、奥さんに「妊娠したなー!」って伝えると奥さんは「まさか」と言っていました。で、妊娠検査薬を試した結果、見事に的中していました。

 

僕としては当たり前のことだから驚きはしませんでしたが、奥さんはびっくりしていました。これが長男のときの話。

 

次男のときはもう少し面白かったです。

 

次男が生まれる前も背中にフワフワいるなって感じており、すぐ来るだろうなと思いました。奥さんにそれを伝えると長男の一件もあり、少し信じていました(笑)

 

あるとき薬局に家族三人で行った時のことです。当時二歳の長男がよちよち歩きで店内にある妊娠検査薬を僕に持ってきました。二歳だからそれが何かは知らないはずですが、僕には偶然とは思えず奥さんに買って試すように言いました。

 

見事に的中(笑)

 

知らないうちに次男がお腹にいたことを長男が教えてくれました。

 

そんなの偶然だって言われたらそれまでなんですが、僕は第六巻だったり虫の知らせだったりは結構気にする方です。

 

また姉はこんなことがあったそうです。

 

近所のスーパーで三歳の長男を連れて二人で歩いていると車いすに乗ったおばさんが「かわいい子だね。お子さん二人?」と聞いてきたそうで、「いえ、一人ですけど・・・」って答えると、おばさんは姉のお腹を指さして「ここにもう一人いるよ。」と言ったそうです。

 

こんなことばかり書いてると終いには「嘘ばっかり書くな!」って言われそうですが、僕は嘘は書いてないとだけお伝えしておきます(笑)

 

おそらく霊感っていうのも第六感なんでしょうが、僕にはないみたいです。だけど幽霊はいてもおかしくないなって思います。目に見えないけど役割があるものはたくさんありますし。例えば空気とかスマホの電波とか。

 

スポーツで言えば試合の流れとかもそうですよね。日常で暮らしていても「嫌な予感がする」ってことがあると思います。

 

そういう目には見えないものを信じることは自分の中では大切だと思っていて、馬鹿には出来ないなと思います。

 

人の心だって目には見えない。人は口先だけで嘘をつく生き物でもあるから特に厄介です。だけど鋭い人にはその嘘を見抜けたりする。実は人って気付かないだけで見る力と感じる力の両方を使って生きていると思います。

 

相手のことを知りたいから言葉でけでなく、無意識に相手の雰囲気を感じ取ろうとしている。鈍感な人、敏感な人ってこの感じる力の差なのかもしれません。

 

周りにいませんか?この人鈍感だなーって人、この人鋭いなって人。

 

無意識に人って多かれ少なかれ第六感を使って生きていると僕は思います。

 

もともと僕らの祖先の原始人なんかは動物同様に天気も災害も予測できたと言いますしね。と言うよりそうでなければ生活できない。大地震のあとの山には動物の死骸はないとも聞きます。

 

感じる力は人間にも本来あったはずなのに、文明の利器と引き換えに失ったというのはよく聞く話です。だけどこれって自分の痛みにも人の痛みにも感じにくくなってるってことでもあると思っています。

 

そう考えると近年起きている残酷な事件には少し納得がいきます。人を殺すゲームが流行るのもそこかもしれません。

 

時代の進化と反比例するように人間はいろいろ失っていっている生き物かもしれませんね。

 

 

 

 

マスコミと人

こんばんは!

 

今日はマスコミとそれを見ている人間についてお話したいと思います。

 

皆さんはテレビをよく見ますか?僕は会社から帰宅して1時間から2時間くらい見る程度です。ちなみに小中学生の頃はもっとたくさん見ていました。

 

小中学生の頃はテレビの言っていたことは必ず正しいと思っていたし、その報道を鵜呑みにしていました。

 

しかし、大学生になりインターネットを触り始めるとテレビ業界やいろいろな世界の裏側を知ることになりました。もちろん、ガセネタもたくさんあるでしょうが、信憑性のある情報には徹底的に調べたり、人に聞いたりしてきました。

 

そうすることで、自分の鵜呑みにしていたテレビもマスコミたちの都合のいいように放送していることを知り、恐ろしく感じたことを覚えています。結局は人の不幸をネタにし、自分の都合の悪いことは隠す。そして、洗脳しようとしているのがマスコミ。もちろん全てとは言いません。

 

僕は今でも忘れられない事件があります。

 

秋葉原無差別殺傷事件

 

この報道を見たとき皆さんはショックと衝撃を受けたと思います。僕も同じです。

言うまでもなくこんな悲惨な事件は二度と起きてほしくないです。罪のない人間が無意味に奪われたんですから。

 

しかし、この事件の報道を見たとき物凄い違和感を感じたのを覚えてます。それは犯人の生い立ちやその家族の晒し方にです。僕も犯人の教育課程を見た訳ではないので断定的に言えませんが、犯人の育てられ方はかなり過酷だったようです。

 

短くまとめると、母親が自分の作品として長男をスパルタでかなり厳しく育て、自分の期待に応えられなかったから長男から次男にシフトした。

 

そういう風に聞いたけどこれがもし本当だとしたら、これって犯人も問題あるけど世の中にも問題ないか?って僕は率直に感じました。

 

まず、この事件の報道を聞いて安易に犯人だけを狂ってるっていう人に聞きたいです。もし、あなたが犯人と同じ環境で育ったらまともに育つことができ、今と同じことが言えますか?

 

絶対無理だと思います。

 

自分も犯人ほどではないけど、勉強が全然できないのに無理やり進学塾へ行かされました。そこでは完璧おちこぼれ。辞めたいと言っても辞めさせてくれない。挙句、「同じマンションの〇〇さんの息子さんは東大へいったんだぞ。」なんて言われる。知ったこっちゃない。

 

自分が大人になってからは小中学生が塾へ行く姿を見るようになったけど、たくさん生徒の乗せた送迎バスを見て、「あの中に本当に塾へ行きたい子は何人いるのだろう?」と切なくなってしまいます。

 

自ら学びたいという子もいれば、親に無理やり行かされてる子もいるんだろうな。

 

僕は無理やり塾へ行かされた期間、とにかく親を怨みました。

 

「なんでこんなところ行かせるの?」

 

何かに当たりたくもなりました。けどそれって結局は犯人と同じで自分の心の闇を外にぶつけたいだけ。結局のところ自分で消化できず外で発散してしまいたい。

 

ある人が言ってました。

「人を殺したいと思うのは自分の心が殺されてるから。」

 

この言葉すごくわかる気がします。

 

親も所詮は人間で子供のためだと言いながら、自分の見栄とプライドから子供をいい大学、一流企業に入れたい気持ちがある人もいるでしょう。

 

そんな親が安易に「最近の若い人は恐いわねー」なんて言ってると、いやいやアンタの子供はどうなの?って言いたくなってしまう。お子さんはあなたの見栄とプライドで苦しんでませんか?って。

 

そしてそのつまらない見栄とプライドは必ずどこかでひずみを生みます。

 

秋葉原無差別殺傷事件」はその代表的なものだと僕は思います。

 

僕も含めそうですが、人って案外自分のことや身近な人のことが見えてないです。

 

この事件の報道の仕方に違和感を感じたのはそこです。対岸の火のごとく犯人の母親はこんなに酷くて犯人はこんなに歪んでしまったみたいに晒されてたけど、これってどこの家庭にもあり得ます。

 

報道の仕方が悪いだけで親のエゴに苦しんでいる子供はたくさんいると思います。

 

だから「このような悲惨な事件が起きましたが、あなた方はお子様の本当の声を聞いていますか?」って、僕自身は言ってほしかったです。

 

何故ならこの事件を起こしてしまったのは、自分含めこの社会をつくった大人全員に原因があると思うからです。

 

 

 

 

本当の強さって・・・

こんばんは!

 

今日は強さについて自分なりの考えを書いていきたいと思います。

よかったら読んでやって下さい。

 

過去のブログに書きましたが自分はいじめられていました。だから強くなっていじめた連中に仕返ししたいってずっと思っていて、そこからボクシングを始めました。

 

その当時の僕の考えはかなり浅はかで、相手を打ちのめせるのが強さなんだって勘違いしていました。相手をボコボコにできればカッコイイみたいな(笑)

 

そして、ボクシングを始めて間もない頃、テレビの画面越しに出会った伝説のボクサー「エドウィン・バレロ」。

 

このボクサーを知った時はまさに衝撃的でした。鋭い眼光をしたベネズエラ人のボクサーで戦績は27戦27勝27KO、全勝全KOのパーフェクトなチャンピオンでした。しかも相手を寄せ付けることのない圧倒的強さで初回KOする試合も多かったのです。

 

このボクサーを知ったとき、自分もこんな強い男になりたいと憧れました。きっとこの人はどんなことにも屈しない鋼の心の持ち主で、ボクシングのみならず人としても最強なんだ、勝手にそう思っていました。

 

しかし、このボクサーはかなり意外な形で最期を迎えることになります。

 

あるとき新聞を見ていると「バレロ、妻を殺害」と書かれていました。一瞬何のことかわかりませんでしたし、何より信じられませんでした。

 

僕「あの最強のバレロがこんな・・・。」

 

バレロには二人の娘がいます。それを見た二人の娘はどんなに恐くて悲しかったことか分かりません。

 

そして何日か経過し、また意外な新聞記事が目に飛び込んできました。

 

バレロ独房自殺」

 

バレロは逮捕された後、独房で首を吊っていたそうです。
ボクサーとしてどころか人として最悪な終わり方をしてしまったバレロ

 

僕はこの死をきっかけに強さってなんだろう?って考えるようになりました。相手を打ちのめすのが強さのはず、その自分の考えを疑うことにしました。

 

確かに目の前の相手を倒せば強いです。ただそれはケンカや格闘技としてです。

 

だけど、強さにもいろいろあるって歳を重ねていく内にわかるようになりました。

 

子供を育てる強さ、弱いものを守れる強さ、やり通す強さ、自分に負けない強さ、強さにもいろいろあって、皆それぞれ違う強さを兼ね備えています。何より肉体的な強さより、内面的な強さが大切なのかもしれません。

 

電車でお年寄りに席を譲る人を見ると強さを感じることがあります。席を譲る行為にではなく、弱い人間に目をむけることが出来ているからです。

 

恐そうな人を見ても「こわいなぁ」と近づきたくないけど、強い人には「温かいなこの人」と周りに人が引き寄せられるものです。

 

自分もそんな強い人になりたいですが、少しは近づけたかな?(笑)

 

いやいや、会社から帰って愚痴ばかりこぼしてるようじゃ僕はまだまだですね!

 

 

 

 

 

パニック障害日記 ~最終話~

こんばんわ!

 

なんだかんだで8回に渡ってパニック障害日記を書かせていただきました。読んでくれた方々ホントにありがとうございます。

 

言うまでもなく自分は何もない人間で、こんな話をいきなり見ず知らずの人に話しても相手にされないのは分かっていますが、こうしてブログという形で読んでもらえて本当に嬉しく思います。

 

(では最終回)

 

母へ報告から1週間後、思わぬ人から手紙が届きました。

 

伯母さんからでした。前にも書かせてもらいましたが、伯母さんは旦那さんが鬱病になりながらも自分の収入で3人の子供を育てた苦労人です。

 

伯母さんの手紙

「また夢を追うそうだね。がんばるんだよ!それはいつか必ず財産になるから!」

 

多くの言葉は書かれていませんでした。しかし、この手紙を読んだとき涙が止まりませんでした。

 

「まだ自分なんかを応援してくれる人はいる。一人じゃない。」

 

孤独の中に少し光を見た感じがしました。母が伯母さんに僕のことをどう伝えたのか、伯母さんが何故手紙をくれたのか、どういう気持ちで送ったのかは今もわかりません。

 

ただ、精神的病を抱えた旦那さんを支えながら、いつも笑顔でいた伯母さんなら会わなくても自分のことをわかってくれてるような気がしました。

 

母が泣いているのを横目にジムに通う毎日はつらかったですが、決めたからには命がけてやるしかない。負けない。これ叶えて死ぬんだ。ただ、その想いを胸に頑張りました。

 

だからこそ練習もそれまでにない追い込みをかけることが出来ました。

 

とても小さな夢ですが、そこに向かってひたすら走ることに集中しました。ジムから帰れば疲れ切って即寝る、そして早朝から起きて走る、朝から夕方まで工場でアルバイト、そこからジムで練習。

 

そんな生活をしていると死の煙のことを思い出す暇がなくなりました。そして気持ちが充実しているからかいつの間にか来なくなっていました。来なくなったことすらも忘れていました。

 

そして練習を再開して3カ月、ついにトレーナーから

 

「おまえ次のプロテスト受けろ!」

 

遂に念願のプロテストを受けることになりました。

夢を叶えるまであと一歩。

テストまでの2か月間とにかく自分なりに過酷に追い込みました。

 

結果、プロテスト合格

 

小さな小さな夢が人知れず叶えました。

テストの合格発表を聞いたとき、「やったー!!」ではなく「あー疲れた・・・。」というのが率直な感想でした(笑)

 

帰って母に合格したことを伝えました。

また泣いてました(笑)

秘かに応援してくれてたんですね。

 

パニック障害という精神的病は治った確証なんて今でもないです。もしかしたら何年か先にまた出るかもしれません。どのタイミングで、また何をしたから治ったのかがわからないのだから、また来てもおかしくありません。

 

そもそも何故自分がパニック障害だと思ったのか?

 

それは僕自身パニック障害がおこらなくなった数年先、「ザ!世界仰天ニュース」で漫才コンビ中川家のお兄さんのパニック障害の再現VTRを見たからです。

 

その再現VTRを見たとき「この人(中川家のお兄さん)俺と全く同じ症状だ!!」と驚き、そのとき初めて自分がパニック障害だったと知りました。

 

僕は正直、精神的病のことなんて知る気もなかったですし、関係ないとすら思っていました。しかし、いざ自分がなると地獄以外の何ものでもないことがわかりました。あの苦しみはなった人にしかわからないです。

 

だからこそ精神的病と闘う人は大変なんだと心から思うようになり、それを身を以って知ることでほんの少しだけ強くなれました。

 

僕はプロボクサーになれば強くなれる、昔はずっとそう思っていました。しかし実際はそうではなく、強くなったと言うよりも恐怖に対峙したときの自分の弱さや汚さと向き合うことにあったように思います。

 

プロボクサーになったから強くなれたのではなく、それになるまでの過程が少しだけ自分を強くしてくれました。パニック障害も自分に何かしらの強さを伝えるための課題だった、今ではそう思うようになりました。

 

しかし、今も自分は弱いです。人として弱すぎるくらい弱いです。

 

結局、ボクシングをしなくても職場であれば人間関係だったり、病気で人であれば病魔だったりと、それぞれに闘うリングは用意されてるように思います。

 

生きることと闘いは常にセットだし、前を向いて進もうとする人ほど闘いが増える気がします。

 

だけど僕らは一人ではなく、必ず誰か支えてくれる人がいて、その人たちの存在を忘れずそれぞれが闘うことできっと強くなり、その恩を誰かにバトンとして繋げていくことが大切なだと感じました。

 

 

ありがとうございました