PONTAkun’s blog

自分の生きてきた経験や思いを素直に書いてます

選択肢の一つ

おはようございます!!


皆さんは嫌なことがあるときどうしますか?


生きていれば嬉しいことも嫌なこともたくさんあると思います。


どちらかと言うと嫌なことの比率の方が多いですかね。


だからこそ嬉しいことがあれば喜ぶし、また頑張ろうという気にもなれます。


逆に嫌なことであった場合、真っ向から立ち向かうのか、または少しずつ進めていくのか、それとも最後まで後回しにするのか、人それぞれです。


逃げずに戦うことを世間では勇敢と評価することが多いけど、嫌なことから逃げてはいけないというのは実際のところはどうなんでしょうね。


たまに分からなくなります。


もしその言葉通り人々がみんな嫌なことへ立ち向かっていけたなら、世界はすごいことになっていると思います。


しかし、嫌なことへ幾度となく立ち向かえる強い人もいれば、そこから目をそらしてしまう人もいます。


逃げずに立ち向かうことは、成長への1番の近道と言われてますが、確かにこれは間違いないと思っています。


人が嫌がることは基本的に大変ですし面倒なことも多い。


それをやりつづければ気持ちも体力もつくのは、ある意味で当たり前なのかもしれません。


しかし、多くの人はそれを分かっていながらもなかなか飛び込めません。


ここで偉そうに語ってる僕もです。


大変な思いはしたくないですし、やっぱりなんと言っても怖いです。


どうなってしまうか保証なんてないですからね。


だから飛び込まなければならないと心では思ってはいても、どこかで誰かがやってくれるだろうとなってしまいます。


しかしそれでも長い人生を生きる中で、どうしても戦わなければならない状況があります。


それは自分にとって譲れないもの、守るべきものがあったとき、もしくはどこにも逃げ場がないときだと僕は思っています。


逆に逃げなければならない状況とは無謀な勝負であり、そこには100パーセント勝ち目がなく、負けたら全てを失う場合です。


もちろん自分自身が潰れることも含まれます。


今回は後者の逃げるときにフォーカスを当てたいと思います。


僕も過去に嫌なことへ戦ってきたこともあれば、もちろん逃げたこともあります。


「あぁ、もう駄目だ・・・」


そう思って逃げ出したこともあったし、疲れ果てて動くことさえできなかったこともあります。


その場から走って逃げようが、その場でうずくまってしまえば戦闘不能と見なされ、世間からは逃げたことになってしまいます。


でも逃げたと聞くと何とも響きは悪いけど「一旦退いた」とか、「回復のため避難した」と言うと、どこか受け取り方が変わりませんか?


同じことを言っても、まさに言い方ひとつで印象が変わってしまいます。


本来は戦いにおいてに逃げるという選択肢はあって当然なのかもしれません。


仮に人生そのものが戦いという舞台ならばです。


人気ゲームのドラクエでもモンスターに遭遇し、戦闘画面になったとき「たたかう」と「逃げる」という選択肢はあります。


主人公のレベルが出会ったモンスターよりもはるかに下回っていたり、主人公のMPが残り僅かならば、逃げなければモンスターに確実に殺されてしまいます。


主人公の死はゲーム上においてはゲームオーバーとされますが、現実世界での主人公は自分であり、自分がやられると言うこと死を意味します。


つまり命のかかった勝負において、明らかに勝てない勝負に挑むのは勇敢ではなく、ただの無謀ということです。


だけど、現実では「嫌なことから逃げてはいけない」というのが、世間の一般的な見方。


ゲーム上で死んでもコンテニューは出来ますが、現実の世界で死んだらそこで終わりです。


むしろ現実の世界こそ逃げるという選択肢があってもいいはずだと僕は思うのです。


そもそも逃げるという言い方がよくなくて、退くという言い方にしてもいいと思います。


ボクサーでもインファターと言って近い距離でガンガン打ち合う選手もいれば、相手との距離をとって足を使いながら戦う選手もいます。


アウトボクサーは相手と離れて戦うので、近づいてくる相手選手に対して逃げ回ってるという見方の人もいますが、それは大間違いです。


相手との距離を離れて戦うことも戦術であり、危なくなったらクリンチすることも技の一つだからです。


なぜにアウトボクサーを「男らしくない!」とか「逃げまわってる!」と言う人がいるのか?


それは単純に殴り合いのKO劇を見たい観客が多数いることや、アウトボクサーに上手くいなされて腹が立った選手が言い訳にしているからです。


ボクサーの目的は面白い試合をすることではなく、KOをすることでもなく、とにかく勝つこと。


勝つことが目的なのだから試合中に足を使って戦おうが、ダメージが抜けないのならクリンチをしても構わないのです。


逆に試合を盛り上げるために無理に打ち合ってKO負けしたり、ダメージがあるのに真っ向から向って倒されればプロ失格ということになります。


プロでありながら勝つことに徹していないからです。


そして、それは勇敢ではなく無謀です。


人生という戦いにおいて勝つとは何かというのは人によって違いますが、なにかを達成するには生き残ることが前提です。


だから潰れたり死んでしまってはいけないのです。


生きてさえいれば可能性はあります。


でも、「逃げてはいけない」となぜ周りの人は言うのか?


その発言を言ってくる人の中には本当に本人のことを思っている人もいるでしょう。


しかし中には逃げないことをより正当化して、例えばブラック企業の上司などが「逃げないことが大事だ!!」と最もらしいこと言ったりもします。


それは単純に会社から労働力を失いたくないから束縛してるのであって、本当は逃げる逃げないの話ではないのです。


その人の人生であり選択は自由だからです。


しかし、この逃げてはいけないという言葉にすり替えて、人を縛り付ける人間も多いのは事実。


そもそもが逃げてはいけない理由がなんなのか。


周りと同じように生きるべきだから逃げてはいけないのか。


逃げればまた同じ苦しみに出会うからなのか。


確信のある答えが僕には思い浮かばない。


しかし、その全てを逃げると言う言葉で一括りにするのは僕は良くないと思っています。


さっきも書いた通り言い方一つで印象が変わるからです。


「逃げるな」とやたら言うのは、今でも日本の侍魂のような戦時中の意識がまだ世間に残っているからなのかと僕は思えてきます。


ゲームにすら逃げると会う選択肢があるのに、現実で逃げてはいけないというのは矛盾しています。


ゲームだから逃げていいのか?


僕は逆だと思います。


その言葉の響きが悪いのなら一旦は退けばいい。


人生は元気に生きている限り、何回でもコンティニューできます。


問題はそのあとで、休んだらまた挑戦してみたらいい。


僕はその繰り返しでしかないです。

ややこしい!!

おはようございます!!


ときに皆さんは漢字に強いですか?


日本人なら普段生活をしている中で、漢字を見ない日はないくらいですよね。


ただ、大人になって今更ながらに聞けないけども、読むことが出来て当たり前だったり常識的な漢字ってありますよね。


僕にはその読むことができて当たり前だったり、常識的な漢字がわからないときが多々あります。


だから僕は日本人でありながら漢字が嫌いです。


ややこしいから(笑)


そして、僕は読み方を知らず恥をかくことは今現在もしばしばあります。


今日はそんな漢字で恥をかいたエピソードについて紹介しますので、良かったら読んで下さい^_^



まずは一つ目。


ついこの間の出来事です。


ブログで書かせていただいたと思いますが、3日前の日曜日は長男の七五三でした。


そこで長男に袴を着せるときの話です。


奥さんと僕でレンタルした袴を長男に着せていたのですが、着せ方が分からずに中に入っていた説明書を見ながら二人で協力し合いながら着せていました。


その説明書に「足袋」と書いてあったので、僕は奥さんへ「あしぶくろってどこ入ってるの?」と聞くと、奥さんは「なにそれ?」と真顔で聞いてきました。


僕が説明書の足袋の文字を指差すと奥さんは「ブアッハッハッハッ!!」と吹き出し、床に笑い転げていました。


奥さんに何がおかしいのか聞くと「アンタ本気で言ってんの?これは「たび」って読むんやで!」と言いました。


僕は思いましたよ。


「足袋」


どう見ても「あしぶくろ」だろ!!


ややこしい漢字が悪いんや!!



二つ目は奥さんと同棲を始め、近所で駐車場を探していたときの話です。


アパートの周りをフラフラと二人で歩き回って、良さそうな駐車場を探していました。


なかなかいい場所が見つからなかったのですが、遂に「空きあり」という看板を見つけて早速看板に書いてある電話番号へ僕が電話。


すると大家さんが出ました。


僕「あ、すいません。駐車場が「くうあり」になっているので、契約したいのですが。」


横で聞いていた奥さんは、そこでも横で大爆笑していました。


大家さん「ん?くうあり?あきありのこと?一台分空いてますよ。」


僕「え?あきありって読むんですか?あははは。ごめんなさいね、知らなくって!」


しかも僕そのとき「月極」を「げっきょく」と読んでいましたよ。


はずい・・・。


そんときも思いましたよ、そりゃあ。


ややこしい漢字が悪いんや!!、って。



三つ目、実家に住んでいたときの話です。


家で晩御飯を食べながら報道ステーションを見ていたときの話です。


かなり昔の話なのですが、、確か小泉政権時代に武部幹事長っていましたよ?


僕はその「たけべさん」を「ブブさん」と読んでいました。


僕はリビングでテレビを見ながら「ふーん、ブブさんだって。変わった名前の人いるね。」と一人呟くと、普段はクールな父が後ろで必死に笑いを堪えています。


しかし堪えてはいるものの、「グッフッフッフ」と笑い声が漏れていました。


僕「ん?どうしたの?」


父「アーハッハッハッ!!お前頼むぞ!!大学行ってんやろ?たけべさんをブブさんなんて言ったら、お前みんな笑われるぞ!!」


父は涙を流しながら大爆笑。


なにもそんなに笑うことないだろ・・・。


全部ややこしい漢字が悪いんや!!!


他にもあり過ぎますが、ここでは全て書けば僕が丸アホなのがバレるのでやめときます


もうバレてるか(笑)





マッチ売りの少女

おはようございます!!

皆さんは「マッチ売りの少女」の話ってご存知ですよね。

僕は小さい頃に聞いた話ってくらいで、内容をあまりちゃんと覚えてないくらいでした。

最近、僕のリスペクトするミュージシャンの方が、このマッチ売りの少女の話を現代人の無関心と重ね合わせて歌をつくり歌っておりました。

そして、それを聞いていろいろと考えさせられました。

マッチ売りの少女の話を語ると長いのでここでは書かないですが、あの話って皆さんはどういった受け取り方をされていますか?

受け取り方は人によって違うので、そこに正解不正解はありませんが、僕はミュージシャンの歌を聴いた時に気付かされたことがありました。

マッチ売りの少女は死んだのでなく、殺されたということにです。

何を言ってるのか意味不明だと思うので、自分なりの考えを書いてみます。

まず、少女を殺したのはもちろん親ですよね。

極寒の中でマッチを売らないと家に入れてもらないなんて、今で言えば虐待です。

それも真冬の雪の中を小さな少女一人で一日家中入れないという酷いレベルの虐待。

もしこの親が現実にいたとして、今ものうのうと生きていたのなら、僕は親をボコボコにして全裸で一日中雪の中で正座させてやりたいと思ってしまいます。

そして少女を殺したのは親だけでなく、凍えていることを知っていながら、何もせずに通り過ぎて行った無関心な大人達でもあります。

国の違いもあるだろうし、小さな子でも過酷な労働を強いられた時代があったかもしれないけど、幼稚園児や小学生が一人で雪の中で凍えているなら、何かしてやれたことはあったはずです。

お金を上げられなくても上着を貸すだとか、あったかい飲み物を渡すとか、何か出来たはず。

何もせず通り過ぎていって、翌朝亡くなった少女を見て可哀相と思うのは他人事で言ってるとしか聞こえません。

可哀相だと思うくらいならマッチの一本でも買ってやれよって話になります。

そもそもが人間の可哀相なんて考えは、思い上がりの上から見た偽善に過ぎません。

それよりも何か出来たはず。

作り話ではあるけど、実際に世の中の事件のいくつかは実は人が足を止めていたら未然に防げたことも多いと思います。

何もせず無関心に通り過ぎてしまったがために死んでしまった。

無関係に見えても通り過ぎてしまっただけの僕達は殺したも同然。

殺したのは僕やあなたかもしれないということに、歌を聴いて気づかされました。

でも逆に人が困ってるとき、一人でも足を止める人間がいるのなら、世の中の事件や不幸はたくさん防げるかもしれないということですよね。

だったら、僕も足を止められる人間にならないとな。

例え失敗してもいいから飛び込む勇気を持たないとな。

ここでブログを書いて綺麗事を言っている僕も、今のところただの偽善者に過ぎませんからね。

なんだかんだで300記事!!

おはようございます!!


読者さまにはどうでもいい話となってしまいますが、僕のブログの記事がこれで300記事目となりました。


当たり前の話ですが300回も記事を書いたんですねー。


自分の中に300個ものネタがよくあったもんだと思います。


ほんとに何となく始めたブログなんですが、ここまで続けてこられたのは読んでくれる人がいるからに他なりません。


1人でひたすら書いて誰からも反応ないんじゃつまらないですもんね(笑)


もし記事を書いて誰からの反応がなければ、僕はとっくにブログをやめていたことでしょう。


やっぱり続けてこられたのはスタンプやコメントをくれる人がいるからですね!


ちなみにブログを始めた理由は、テレビでホリエモンが「これからは一人一人が自分の考え方を発信していく時代」みたいなことをいっており、何となしに僕もやった方がいいのかなと思ったことで始めました。


最初の頃はブログを始めたはいいけど、何を書いていいのか全くわかりませんでした。


とにかく何か思ったことを書こう、体験したことを書こう、そんな感じで始めていきました。


ちなみに僕は「はてなブログ」以外で他にブログは書いていません。


このブログ一本という感じで始めていますし、仮にこのブログが消されてしまったらブログ自体も止めるかもしれません。


僕のブログは記事ごとに書いている内容は変わっても、本質的な部分は同じことばかり書いている記事が多い様に自分では感じています。


きっと読者さま達もそう思われますよね?


「また似たようなこと書いてるわ、この人。」みたいな。


そんなブログではありますが、書き続けることで記事をアップする度に毎回スタンプをいただける優しい読者さまにも何人か出会えました。


いつも読んでいただき本当に感謝です^_^


ありがとうございます!!


僕のブログは読んでお分かりのように、人の役にたつブログではないです。


僕の考え方や感じたこと、またはその日あった出来事を日記としてただひたすら書いています。


そんな感じのブログなので、ブログを通して何かを得ようと考えている方々にはつまらない記事ばかりかもしれません。


しかし僕はこの書き方でしか進められないので、これからもこの書き方で続けていこうと思います。


どこまで続けられるかはわかりませんが読んでいただいてる読者さまの方々、これからも宜しくお願いします^_^



で、早速昨日の話です(笑)


(終わりちゃうんかい!)


昨日は長男の七五三で、家の近くにある神社に行きました。


近所の小さな神社なので僕達家族しかいませんでしたが、地鎮祭や次男のお宮参りなど色々とお世話になっている神社なので、これからもこの神社にお世話になっていきたいと思っています。


生まれてから5年も経った長男ですが、我が息子ながら本当に大きくなったもんだと感じます。


生まれたときは小さくて泣いてるだけだったのに、それが今では言葉は話すし走り回る、悪知恵までつけてきてるんだから息子はすごい。


って言うか息子に限らず人間という生物が凄いんですね、ハイ(笑)


長男がここまで無事な育ってこれたのもまた奥さんをはじめ周りの方々のおかげてすね。


最近では幼稚園で好きな女の子ができたみたいで、恋をしているらしいですよ(笑)


なんか羨ましいな。


異性を好きになると言うことも、また成長の一つですね。


そして、最近では生意気な口を僕に聞くようになりました。


長男「お父さんなんて弱っちぃから僕の方が強い!」


息子よ、お父さんはこう見えてもボクシングしてたんやぞ。


一見するとメガネをかけて大人しそうに見えるから、秋葉原メイド喫茶にいそうだけどいないんだぞ。


ちょっとだけ強いんだぞ。


まあ、これも成長ってことでポジティブに捉えましょう。


生意気な口をきける程に元気ってことで(笑)



イキった男

おはようございます!!


皆さんは辛い食べ物は好きですか?


僕は大好きです^_^


食べ物には何かと七味を入れたり、おでんならからしをタップリとつけたり、刺身ならワサビをやたらとつけたりと、元の味がわからなくなるくらいにつけます。


当然ながら奥さんは「私の作った料理の味なんてわからんくなるやん!!(怒)」と嫌がります。


奥さんの言ってることは正しいのですが、僕は食べ物に刺激を求めてしまうからやめられないですね。


これを読んでくれている主婦の方々がおられらるなら奥さんと同じ気持ちでしょうし、「この人最低!」と思われるでしょうが、僕は辛い食べ物がやめられないんですね。


辛い食べ物には中毒性があるように思います。


で、昨日買ってきて食べたのがこちら!


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「中本 蒙古タンメン


セブンイレブンで売ってます。


コレ友達がかなり辛いと言っていたので買ってみました。


友達は「めっちゃ辛いから食べてみ!上ちゃんでも火を吹くから!」


(上ちゃんとは僕のあだ名です。)


僕「なーにが辛いですかってんだよ!世の中に俺を辛いと唸らせる食べ物はない。少なくても市販のモノにはな。フッ。」


やたらと調子こいたことを言いました。


そして昨日、購入したったわけですよ。


以下いつもの会話形式。


俺「おーい、これ買ってきたから作ってくれぃ!」


奥さん「まーたこんなん買ってきたん。あんた頭アホになるで。もうアホやけど。」


俺「俺は刺激のない人生なんて耐えられないのさ。」


10分後、完成。


奥さん「ひと口だけ食べてみていい?」


僕「おう、食べろ食べろ!感想を聞かせてくれぃ。」


ズズズ(麺をすする音)


奥さん「からーい!!!!!何これ?!こんなん食べたら舌がおかしくなるわ!」


僕「修行が足らんのとちゃいますか奥さん。僕はね、人生は修行の連続やと思いましてね。コイツを更にぶっかけてやろうかと思います。」


僕が手に取ったのは七味唐辛子。


それを食べる前に更にたーくさん上からかけてやったのです。


僕「この!こら!おら!それ!これでもかってんだ!」


調子こいてやたら七味唐辛子を振りまくる僕。


奥さんはそれを見て、


奥さん「うーわ、ただのアホや!!」


僕「そうでーす!ただのアホでーす!」


で、いよいよ食べてみる。


ズズズ!!


僕「ゴホッ!ゴホッ!ブバッ!」


むせて麺を吐き出してしまった。


奥さん「うーわ!めっちゃ汚い!」


僕「かっらー!!!牛乳ちょうだい!!」


奥さん「何やってのよ、もー!」


僕「こんなに辛いなら言ってや!!聞いてないよー!」


ダチョウ倶楽部もビックリです。


奥さん「言ったやん!!アンタがアホみたい七味かけるからこうなるねん!!」


僕「全部俺のせいやって言いたいんか!!」


奥さん「当たり前やん。」


僕「コレ全部あげる。」


奥さん「いらんわ!!」



僕なんとか牛乳を飲みながら完食しましたが、今もお腹の調子が狂ってしまっています。


皆さんはイキって七味唐辛子をかけるのはやめましょう。


そんなことしないか(笑)



歳をとるってこういうことですか?

おはようございます!!


最近、花粉ヤバいです。


この時期は稲花粉とブタ草でしたっけ?


僕は鼻も喉もやられていて、ガラガラ声に変わってしまいました(笑)


アレルギー体質はつらい・・・。



で、話はいきなり変わって昨日奥さんから聞いた言葉についてなんですが、僕の中で結構心に残ったので書きます。


以下いつもの会話形式(笑)



僕「俺さぁ、腹たつことがあっても最近あんまり怒りのパワーがわいてこないんだよな。そのエネルギーがないと言うか。」


奥さん「前ほど怒らんくなってきてるよね。それがいいことか私にはわからんけど、まあ昔みたいに本気で怒ることがないなら本気で悲しむこともないんちゃう。本気で喜ぶこともないやろうし。」


僕「・・・」



奥さんのこの言葉に何と返したらいいのかわかりませんでした。


なぜなら妙に納得してしまったからです。


過去のブログで書いたのですが、僕は少しずつ怒らなくなってきたことを自分でも実感しています。


と言うより怒るパワーもなく怒れなくなってきたんです(笑)


しかしそれは怒ることだけでなく、気が付かない内に本気で喜ぶことも、悔しがることも、泣くこともなくなっていっているのかもしれません。


当たり前の話ですが、本気で怒るのはそれだけ真剣に熱くなっているからで、その反対は楽しい笑いがあります。


大きな喜びの裏には深い悲しみ。


喜怒哀楽の振り幅はそれぞれに等しいとすれば、強いを怒りを感じないということは大きな喜びも感じなくなるということになります。


振り幅がないぶん心は安定はするでしょうが、僕はそれぞれの感情が大人しくなっていくと思うと何か寂しさも感じます。


これが歳をとるってことなのか?


いつまでも「俺は俺だ!!」と心の中で叫んで、自分の正しさを信じたいけど、本気で怒ることがないのなら、その分で葛藤もなくなっていくんだと思います。


葛藤がなくなれば「まあいいか」みたいな感じで自分の意見もハッキリとしないまま進んでいくんだろけど、それって自分がなくなるってことじゃないのか?


葛藤のない分、それはそれで楽には生きられると思います。


でも僕は代わり者の僕は周りに流されたくないから、自分にも人に対しても怒ったり泣いたりしました。


そんないちいち熱苦しい自分に嫌気がさすこともありましたが、今思えば怒ることも泣くことも悩むことも笑うことも、自分そのものだったんだと思うとそれが失われるのは何かこわいです。


そうなることて一皮むけた自分に会えるかもしれないけど、流されていくことに何も感じなくなった自分になってしまうのはダメな変わり方です。


頭が悪くても、顔が悪くても、気が弱くても、僕は僕でいたいからです。


そう思うと自分のことをゴミクズだと思っている僕ですが、こんな自分でも愛してるのかもしれません。


その裏には。

おはようございます!!


昨日職場のパートさん達の会話が聞こえてきたのですが、話の話題は某女優が薬物で捕まったことでした。


テレビで報道されていましたが、僕からすればいつも言うようにどうでもいいことです。


その女優さんのファンでもなければ友達でもないからです。


ファンや繋がりのある人間ならば裏切られた気持ちになるのはわかります。


しかしファンでもなく、なんの繋がりもない人たちが報道に対してボロカス言うのはいつも疑問で仕方がないです。


ボロカスに言ってる話を聞いていると、自分達はそんなに普段から正しい行いをしているのか聞きたくなるぐらいです。


パートさんたちが言っていたことをまとめると、「顔は綺麗やけど人としては最低ね」ということでしたが、関わりのない人間を影でボロカスに言うアンタ達も十分最低ですよ。


そう言った会話は本当に自分の耳に入れたくないですし、そう言った人たちとも出来れば関わりたくありません。


こっちまで病んでくるし、負のオーラが飛んできそうだからです。


結局は嫉妬や妬みからそういったことを言って、自分のストレスを発散しているんだろうけど、そんなこと言ってもただの悪口にしかならない。


何よりそんなどうでもいい報道に乗っかってはいけない。



僕は芸能人が薬物で捕まるニュースを目にすると、芸能人がどうこうとか言う以前に芸能界は薬物と切り離せない関係なんだなと思ってしまいます。


今まで薬物で捕まった芸能人やスポーツ選手はたくさんいます。


これだけたくさんの有名人が捕まりながら、薬物を使用した本人だけが晒されるだけで、薬物の出どころである根本的なところは解決されていません。


もちろん使用した本人が一番悪いけど、その影で薬物を勧めた人間がいるのもまた事実です。


それは組織ぐるみで行われていることだろうし、簡単に解決は出来ないだろうけど、ここを抑えない限りこれからも薬物使用する芸能人は出てきます。


本当に報道すべきは薬物汚染された芸能界自体と、そこへ薬物を流す組織を晒すべきなんじゃないかと僕は思います。


だけど芸能界や組織に追求はなく、いつも芸能人だけが晒しものにされます。


表面的なことだけをテレビで報じるだけ。


華やかな芸能人が転落する様を見て喜ぶ人間、転落する様を流すことで視聴率を稼ぐテレビ局、お金のある芸能人を狙って擦り寄る組織。


この構図は出来上がっています。


結局、芸能界もテレビ局も薬物組織も、すべて繋がっているんじゃないかと僕は思うんです。


だからニュースの一部は起きているのでなく、実は意図的に起こしている可能性だってあるとすら思っています。


その中でも特に芸能ニュースは怪しいと僕は思っています。


なぜなら芸能ニュースは報道しようがしまいが日本にとってどうでもいいわけで、それを敢えて大々的に報道するのには、何か理由があると僕は深読みしてしまうからです。


例えば、マスコミが大事なことを隠すための煙幕に使って国民の関心を逸らしたいのか、国民の嫉妬心や怒りを増幅させたいのか、単に芸能人の転落する様を見せたいのか、本当のところは分かりません。


しかし、そういったニュースを見てそのまま鵜呑みにするより、誰が何のためにその報道を流したのかを考えないと、僕らは操り人形となってしまいます。


大事なことは起きたことに対して自分はどう考えるかであって、一緒になって人の悪口を言ってはいけない


本質を一人一人が探ろうとすれば、芸能人ニュースを見て安易に汚い言葉を言えなくなるはずです。