PONTAkun’s blog

自分の生きてきた経験や思いを素直に書いてます

マッチ売りの少女

おはようございます!!

皆さんは「マッチ売りの少女」の話ってご存知ですよね。

僕は小さい頃に聞いた話ってくらいで、内容をあまりちゃんと覚えてないくらいでした。

最近、僕のリスペクトするミュージシャンの方が、このマッチ売りの少女の話を現代人の無関心と重ね合わせて歌をつくり歌っておりました。

そして、それを聞いていろいろと考えさせられました。

マッチ売りの少女の話を語ると長いのでここでは書かないですが、あの話って皆さんはどういった受け取り方をされていますか?

受け取り方は人によって違うので、そこに正解不正解はありませんが、僕はミュージシャンの歌を聴いた時に気付かされたことがありました。

マッチ売りの少女は死んだのでなく、殺されたということにです。

何を言ってるのか意味不明だと思うので、自分なりの考えを書いてみます。

まず、少女を殺したのはもちろん親ですよね。

極寒の中でマッチを売らないと家に入れてもらないなんて、今で言えば虐待です。

それも真冬の雪の中を小さな少女一人で一日家中入れないという酷いレベルの虐待。

もしこの親が現実にいたとして、今ものうのうと生きていたのなら、僕は親をボコボコにして全裸で一日中雪の中で正座させてやりたいと思ってしまいます。

そして少女を殺したのは親だけでなく、凍えていることを知っていながら、何もせずに通り過ぎて行った無関心な大人達でもあります。

国の違いもあるだろうし、小さな子でも過酷な労働を強いられた時代があったかもしれないけど、幼稚園児や小学生が一人で雪の中で凍えているなら、何かしてやれたことはあったはずです。

お金を上げられなくても上着を貸すだとか、あったかい飲み物を渡すとか、何か出来たはず。

何もせず通り過ぎていって、翌朝亡くなった少女を見て可哀相と思うのは他人事で言ってるとしか聞こえません。

可哀相だと思うくらいならマッチの一本でも買ってやれよって話になります。

そもそもが人間の可哀相なんて考えは、思い上がりの上から見た偽善に過ぎません。

それよりも何か出来たはず。

作り話ではあるけど、実際に世の中の事件のいくつかは実は人が足を止めていたら未然に防げたことも多いと思います。

何もせず無関心に通り過ぎてしまったがために死んでしまった。

無関係に見えても通り過ぎてしまっただけの僕達は殺したも同然。

殺したのは僕やあなたかもしれないということに、歌を聴いて気づかされました。

でも逆に人が困ってるとき、一人でも足を止める人間がいるのなら、世の中の事件や不幸はたくさん防げるかもしれないということですよね。

だったら、僕も足を止められる人間にならないとな。

例え失敗してもいいから飛び込む勇気を持たないとな。

ここでブログを書いて綺麗事を言っている僕も、今のところただの偽善者に過ぎませんからね。