PONTAkun’s blog

自分の生きてきた経験や思いを素直に書いてます

いじめの本質

おはようございます!!

今日で出張最終日^_^

岐阜県の関では昨日の晩から雪が降りました。

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寒い!!!


今日の晩に帰宅予定ですが、息子達は待っててくれてるかな?(笑)


今回は続編を一旦休憩して、いじめについて書きます。

群馬県前橋市で女子生徒がいじめが原因で自殺したというニュースを昨日見ました。

こういうニュースを聞く度に、自分も含めなんですが、人間って本当にどうしよもない生き物だと思います。

僕は人間以外でいじめをする生き物を今のところ知りません。

やはり人間には他の動物にはない感情があるからでしょうか。

自分もいじめを受けたことはありますが、いじめられると本当につらい。

いじめてる側からするとおもろしろ半分で何げなくやっていることでも、受けた側からするとんでもなく精神的ダメージを受けいたりします。

そこでいじめの本質を自分なりに考えてみました。

いろいろ考えて自分が出した結論は、いじめの本質はやはり人間の弱さそのもので、不安感、嫉妬心、孤独感からきているのだと思いました。

頑張っている人間を見れば自分が不安だから横槍をいれたがる、強くあろうとする人間を見ると自分が惨めに思えて仲間外れにする、自分は仲間外れになりたくないから共通の敵を作ってそこで繋がり合う。

もちろんここに当てはまらないものをあると思います。

単にストレス発散でいじめたり、トロいからムカつくとか好き嫌いでいじめたりと、いろんな例があるにせよ、まあ結局は人間の弱さだったり汚さなのは間違いないです。

ワイドショーなんかは人間のそう言った弱さ汚さの部分を巧みについてるなと思います。

普段は華やかなに演出させといて、いざ芸能人が不倫しようものなら、テレビ側はここぞとばかりに放送しまくって利用する。

アレなんかも結局は人の嫉妬心を利用してます。

外野の無関係な人間がとやかく言うのは、自分の生活に満足できず、ワイドショーに不満をぶつけているだけにしか見えない。

本当に上手く出来ているなと思います。

はっきり言って芸能人が不倫しようが隣の人が不倫しようが何の被害もない。

それなのに「あの人は最低だ」なんて言ってるのを聞くと、アンタ関係ないだろって言いたくなってしまいます。

それに人間は誰しも弱いし醜い部分もある。

だから不倫に限らず人は悪いことをしてしまうことがある。

自分の悪事は棚に上げて芸能人の不倫は叩けるのはちょっとおかしくないかと思ってしまいます。

負の感情は誰にでもあるし、ときとしてそれがバネになるこもあります。

だから多かれ少なかれ人をいじめる要素は例外なくみんな持っています。

だけど、それはイジメる側まわるかまわらないかを問われたとき、自分の意思で決まってしまいます。

何が良くて何が悪いのか、判断基準を自分なり持っていないとあっさりと流されてしまう。

ですから、世間の考え方に染まった人、流行に流されやすい人間はイジメに走りやすいと自分は思っている。

流されることに抵抗がないから。

しかし、自分の意思や価値観をしっかり持ち、軸のある人間は流されにくいと思います。

逆に言えば、多数がイジメる人間の中にいたとき流されないためにブレない軸がいる。、

こう言った人間はいじめの標的になるかもしれません。

悪口や悪いことを共感しようとしても、断れるからイジメる側からすると気に入らない。

ニュースを見ただけですが、自殺してしまった女子生徒も人の悪口に共感を求められ、「私はそうは思わない」としっかり言ったそうです。

いじめてる側はそういう人間を見ると自分自身の弱さ汚さが不安になるから、徒党を組んで排除したがります。

自分の存在意義を否定されている気分になるから。

例えどんなに強い人でも一人では、イジメる側が10人いたら勝てない。

極端な例になりますが、ボクシングの世界チャンピオンだって10人の中学生にはケンカで勝てないのと一緒。

女子生徒の仲のいい友人すらもイジメる側に流されてしまったそうですが、本当に酷い裏切りです。

もし、女子生徒を裏切らず支える人があと二人でもいた上げたらこんなことにならなかったかもしれない。

いじめを通じて思ったこととして、強さに形はないけど逆説的に言えば流されないことは強さの一つなのかなと思いました。

意思も葛藤もなく流されやすいのは、柔軟とは呼ばず弱さ。

いじめ、虐待、この弱さ汚さの蔓延る現代社会には流されない強さが必要かもしれません。