PONTAkun’s blog

自分の生きてきた経験や思いを素直に書いてます

おはようございます!!


今回は形についてお話ししたいと思います。


と言っても、丸、三角、四角とかそんなはなしじゃありません(笑)


人が現代社会に合わせてハマってしまう形についてです。


「こいつはまたこんなこと言ってるよ〜!!」、と思わずまあまあ良かったら読んでやって下さい(笑)




日本では子供が社会人になるまでの過程は幼稚園、小学校、高校、大学もしくは就職が一般的です。


日本で生きている限り、この過程は大半の人が歩むし、歩まざる得ません。


仮に小学生のときに、なりたい夢があるから小学校やめますって言ったところで、そんなのは認められません。


高校は本人の意思などで行かない人もいるけど、中学までは基本的にみんな卒業しています。


この過程は長くて、僕らは勉学と常識や社会性を叩き込まれます。


知らず知らずの内に、男はこうで、女はこうで、とみんな教えられた形になれるように頑張ります。


そして、大人はこうでなければならないという形にハマろうとします。


しかし、実はこの形こそが人の動きを固くしたり、精神的病に追い込んだりしているのではないかと僕は思っています。 


本当は生き方に形なんてないはずなのに。


だけど、世間では経歴や見た目など人は正解や不正解をつけたがる。


周りと同じでなければならないという不安があるから。


だけど、綺麗な形は正解ではない。


ボクシングは上手い選手が強いとは限らない。


ボクシングが不器用で下手に見えても、やりづらさだったり、メンタルの強さだったり、形がなっていなくても強い選手はたくさんいます。


歌手にしても歌唱力の高さが人気と必ずしも一致していないです。


歌が上手くなくても独特な味のある歌手はファンがついて売れたりしています。


きれいな形=正解、ではない。


人間自体も同じで学歴や職業が凄くて、財産がたくさんあっても立派だとは限らない。


お金が無くたって背中で語る人間もいれば、お金があっても最低な人間は見てきました。


綺麗ごとに聞こえるのは分かっていますが、形とは表面的なものに過ぎないと僕は思っています。


そして、形なんていうものは人がつくったに過ぎない。


誰かがこうならないとカッコ悪いよ、とか恥だよって、そういう風に決めて広めた。


テレビもその一つだと思う。


人は形を決められると、こういう形にならないとダメなんだって、自分が苦しくなります。


自分もそうでした。


周りのように覚えられず、そして早く動けず、自分はダメな奴なんだってずっと思っていました。


それは結局、みんなと同じようにならないとダメだって意識があったからです。


でも大人になって、自分で判断して自分で道を選ぶことでいろいろ気づきました。


みんなと同じじゃなくていいことに。




僕には嫌いな言葉があります。


勝ち組・負け組


この言葉がすごく嫌いです。


人のことを世間の価値観に当てはめて、勝ち負けを勝手に分けるこの言葉を聞くと、お前の物差しで勝手に決めんなよって言いたくなります。


もし自分を世間の価値観に当てはめれば恐らくは負け組になると思います。


顔も良くなければ収入も低いし、小遣いも少ない。


だけど、そんな連中だけにはジャッジされたくないです。


勝ち組でも負け組でもなく、結局僕は僕だからです。


形を求めると、ときに汚くも苦しくもなる。


顔を周りと比べるとブサイクだからとか、周りより頭が悪いとか、世間の良しとされる形を勝手に決められるから、そこに当てはまってないと自分はダメだと思える。


だけども、その世間の基準すらも人が決めたものだと気がつきました。


形なんてものに執着しないし、みんなが行くから行くと言った流される行動は意識的にもしないようにしています。


だからこそ、ブサイクな顔や頭の悪さも含めてこれが自分だと受け入れるようになりました。


そして、この歳でようやく言えるようになりました。


「俺は俺でいい。」