PONTAkun’s blog

自分の生きてきた経験や思いを素直に書いてます

天国か地獄か無か

こんばんは!!


昨日の寝る前にYouTubeを見ていると、リンクの部分に臨死体験の動画あり見てみました。


「こいつ寝る前に何見てるんだ」って思いますよね(笑)


何気なく見た動画ではありましたが、強く印象に残ったし、昨日の晩から今日の今まで死んだ後の世界は存在するのかという疑問が頭から離れていません(笑)


思い返せばまだ子供の頃、生きている内に良い行いをすると天国へ行けて、悪いことをすると地獄へ行くと親からよく聞かされました。


そしてそれを子供の頃の僕は信じていました。


その考えは成長していろいろなことに触れては変わっていき、大人になった僕は荒んで神様もいなければ天国も地獄もないと思うようになりました。


もちろん、あの世を実際に見たわけではないからただの持論です。


ですから、神様や天国や地獄を信じる方々を決して否定しているわけではありません。


考え方は人それぞれです。





しかし、もし仮に天国や地獄があるのならどんな世界なのでしょうか。


それらを信じない僕ではありますが、あったと仮定した場合を考えてみました。


まず疑問に思うのが、天国へ行けると人と地獄へ行く人の境目ってどこなんでしょう。


人間の心の中には割合が違うものの、多かれ少なかれ善と悪が両方とも存在します。


その善と悪の割合から良いことをしたり、悪いことをしたりと行動が決まってると僕は思っています。


良い行いだけをしてきた善人もいなければ、どんなに悪人と呼ばれる人でも一度は人のために動いたことがあるでしょう。


その割合によって天国に行けるかが決まるのか、それとも天国にもランクみたいなものがあって善の割合で天国のレベルが決まるのか。


そして、天国に行けば亡くなった人達に会えて穏やかに過ごせるのか、地獄に行けば閻魔様に罰せられ拷問を受けるのか。


生きている内は本当のことは誰も知りません。




ただ、大人になって思えば子供の頃に教えられた「良い行いをしたら天国」は「悪いことをしたら地獄行き」というのは間違ってると感じました。


確かに子供に悪いことをさせないためには手っ取り早い伝え方だとは思いますが、実際のところは何をもって良い行いや悪い行いとするのかが曖昧だからです。


例えばパフォーマンスとして見せつけるために良い行いをする人もいれば、普段は温厚でも立場上から敢えて汚れ役をかって嫌なことばかり言う人もいます。


何も知らない人が両者を表面的に見れば、前者がいい人で後者が悪い人ってことになります。


しかし実際はそうではありません。


良い行いも悪い行いも、行った本人の気持ち次第で目に見えた行動だけで良い悪いの判断ができない部分があるからです。


人を助けたいから決まりごとを仕方なしに破ってしまった人、自分の株を上げたいから見せつけるように人を助けた人。


同じ「助ける」にしても助けようとする本人の気持ちは全く違います。


良いことをしても下心がある行動は良い行いとは言えない様な気がします。


むしろ人目につかないところで、誰に知られることもなく人のために静かに動ける人は本物だと思います。


親の言ってた「生きてる内に良い行いをすれば天国へ行ける」って言葉。


わからないでもないですが、下心があるような気はします。


もちろんそこまで深い意味をこめてないのは分かっています。


しかし、自分が天国へ行くために良い行いをするのか?


それとも、世のため人のために良い行いをするのか?


自分のためだとすれば、その行動には見返りを求めてる訳ではだから本当の善意とは言いがたい。


下心から天国を信じるなら僕は信じないし、地獄だって信じないです。




僕が思う死後の世界は「無」です。


だから自分のために生きるし、綺麗事は言いたくありません。


それが地獄行きへの生き方なら、それはそれで仕方ありません。


でも天国へ行くために生きている訳でもありませんし、そのために良いことをしようとも思いません。


ただ、自分らしく生きたいです。


生きてる内は分からない死後の世界ですが、もし死後の世界のことが分かれば、この世に生きる意味もわかるかもしれません。


しかし、僕の言う死後の世界が「無」ならば、生きた意味を感じられなくなるかもしれません。


死んだ瞬間から全てが無になってしまうからです。


ですから、死後の世界が「無」だとすれば、生きている中で生きる意味を自分で見つけるしかありません。