PONTAkun’s blog

自分の生きてきた経験や思いを素直に書いてます

なんで生きるんだ

おはようございます!!


前置きもなくいきなりですが、いつもながら思うことがあります。


なぜ人は生きるんだろう、自分は生きるんだろうって話です。


我ながら僕はまた面倒くさいをいってます(笑)




悲しいとき、苦しいとき、その中をもがいているとき自分がなぜ生きてるか分からなくなります。


楽しい時間を過ごしているときはそんなことを意識しないから、コレ自分勝手とも思えます。


そして、自分に問いかけたところで答えはいつも同じ。


「俺は自分のために生きて自分であり続けたいし、周りには流されたくない。」


それが自分の中で分かっているのに問いかけるのは何故なんでしょうね。


ただ自分を正しいと思いたいのか。


それとも自分の魂の状態を確認したいのか。


自分でもよく分かりません。


でも、答えはいつも同じで変わりません。


下らない問いの繰り返し。


ただ、こんなカッコつけたことを言ってるけど、流されたることだってあります。


そういう自分で在りたいという想いです。



僕は難しいことはわかりませんが、分かってることと言えば人は生きて必ず死ぬってことです。


死んだらどうなるとかは今は置いといて、人は死ぬと分かっていながらも見栄を張ったり、また人目を気にしているのは自分の中で矛盾を感じています。


よく自分に言い聞かせてる言葉の一つ。


「どうせいつか死ぬんだから他人の目なんて気にしないでガンガン行けよお前は!!」


言葉にするのは簡単だけど、いざ実行するのは自分にとって本当に至難です。


「俺は今日からプライドを捨てて生きる!!」


何度そう思ってみても、僕は何処かで他人の目を気にしています。


人目を気にしている内は恐らくプライドを捨てられない。


そして、チンケなプライドは弱さそのものだと思う。


だから僕は弱い。



自分の思う強い人とは肉体的に無関係で、人目を気にせず泥にまみれても、失敗して笑われても突き進める意思の強い人間だと思っています。 


もしそういった人がいたとして、その人がそんな状況でも弱い者にまで目がいく配慮があるとするならば、それこそ最強だと思います。




「フィリピンの英雄」と呼ばれているボクサー、マニー・パッキャオはまさにそんな感じだと思います。


パッキャオはフィリピンの貧しいスラムで生まれ育ち、そんな環境の中からボクシングでのし上がり、世界的な名誉と大金を手にしました。


一試合するだけで何億円と稼ぎ出します。


それだけパッキャオの試合は世界的に人気があるからです。


そして何が凄いのかと言えば、その多額のファイトマネーを自分の生まれ故郷であるスラムに寄付しているところです。


金や名誉を得て自分さえ良ければいいのではなく、故郷を思い自分の力で良くしようする器のデカさも世界チャンピオンです。


その思いはフィリピン国民にも伝わっており、パッキャオが試合をしている間はみんながテレビで試合を見るから犯罪が止まるそうです。


凄いという一言では言い表せないけど、やっぱり凄すぎます。




今の僕は場面によってたまにしょうもないプライドが出るときがあります。


そんなしょうもない自分に気付くと自分自身がとても嫌になります。


「俺って小さいな・・・」


本当はプライドを捨てたいし、ただ目的を達成するための真っ直ぐで強い意志がほしいです。


でも今の自分は他人の一言に一回一回反応してしまって、たくさん回り道をして、無駄な体力を使って、最終的には途中で疲れてしまっています。


そこでよく自分の中で二人の自分が自問自答をします。


「俺は何のために生まれてきたの?家族に尽くすためか?仕事に捧げるためか?何のため?」


「自分が自分でいるためだろ。自分が幸せになるため生まれてきた。」


「だったらチンケなプライド捨てて前に進めよ。地べた這いつくばって泥でも舐めるくらいの根性見せろよ。」


そう問いかけているのに、もう一人の自分がいつも邪魔をします。


「そんなことして何になるの?」


「無理にやることは必要ないよ。傷つくだけ。」


本当に前に進みたいのなら安いプライドなんて捨てろよそんなもん、って分かっているのに前に進めない。


自分の可能性を一番潰しているのは環境でも他人でもなく、自分のチンケなプライド。


プライドを捨てられたなら、もっと大きく前に行けるはずなのにな。


この壁をぶち壊せて新しい自分になれば、生きる理由も分かるのか。


一生このままは嫌だ。


生まれてきた理由があるのなら、せめて少しでもその理由に納得する自分になりたいもんです。