PONTAkun’s blog

自分の生きてきた経験や思いを素直に書いてます

ボクサーズ②

おはようございます!!


今回はボクサーズ②を書きます。


ボクサーズ①を見ていない方、もしお時間あればそちらも読んでいただけたらと思います。


で、今回の僕が出会った印象に残るボクサーはこちらです。



「タフネス先輩」


僕が勝手に心の中で名付けたあだ名で、実際には先輩なので呼べませんでした(笑)


このタフネス先輩、なぜタフネスか言いますと戦績のほとんどが強敵とばかり戦っていたからです。


トータルして11戦しましたが、そのうちの3試合は後の日本チャンピオンが相手、2試合は日本ランカーと戦績の半分近くが強敵と戦っていました。


その5試合は全て負けてしまいましたが、判定結果でしたし何より強敵を除いた6試合は全て勝っています。


つまり戦績は6勝5敗。


勝利した6試合の相手にしたって決して弱い相手ではありません。


ただ日本トップクラスに比べればレベルが落ちるというだけの話です。


その先輩の口癖は「強いヤツとやりてぇな!」でした。


ボクサーが上に行くには強い相手を倒して上に行くというのは当たり前のことです。


しかしチャンピオンにいく道筋はあって、強敵ばかり戦っていると身体が壊れる恐れがあるので、たまに勝てそうな相手との試合を挟んだりします。


よく知らないフィリピン人やタイ人と試合するのはそういった意味もあるのです。


そして、格上の相手と戦うのは怖さが当然なから伴う訳です、普通は。


しかし、その先輩はいつもワクワクしていました。


勝ち負けではなく、とにかく強敵と戦いたかったのです。


本当に根っからの戦い好きで、まさしく戦闘民族と言える人だったでしょう。


そんな性格だからファイトスタイルもガンガン前に行くファイターで、技術云々でなく気持ちで戦う選手でした。


ガンガン前に行ってパンチをもらうものの、先輩は文字通りタフで、KO率の高い選手のパンチをもらっても平然と前に行くのです。


精神的にも肉体的にもかなり頑丈でした。


戦う相手からしたら自分のベストショットが入ったのにガンガン前に来られたら、自分のパンチが効いていないのかと思えてきて恐怖でしかありません。


しかし、そんな先輩も一度だけ口にしたことのある言葉がありました。


「あいつのパンチは命の危険を感じた・・・。」


その恐ろしいパンチを持った対戦相手は、先輩との試合の3試合後、日本チャンピオンになりました。


防衛回数は4回と強いチャンピオンでしたし、あと2、3回防衛すれば世界に挑戦していたかもしれません。


そんな強敵と戦っても折れることない先輩でしたが、私生活はお酒大好き人間でした。


スパーリング(練習試合)をした日は脳にダメージがあるからお酒は飲んでは行けないんですが、先輩はスパーリングで激しく打ち合った日でも普通にお酒を飲んでいました(笑)


僕と先輩は練習終わりよくこんな会話をしていました。


先輩「よーし、飲むかー!」


僕「先輩スパーしてたんじゃ・・・」


先輩「関係ねぇよ!そんなの。」


と、言って普通にお酒を飲んでいました。


いろんな意味で頑丈な先輩でした(笑)


ただそんな破天荒な先輩ですが、とても面倒見が良く僕はかなりお世話になりました。


スパーリングの相手はたくさんしてもらったし、アドバイスもたくさんしてもらいました。


自分の中での先輩の存在はとても大きかったのです。


しかしそんな男らしい先輩ですが、酒癖はやっぱり悪かったです。


ほんとにベロベロになるまで飲んでは同じ話を何回もしていました。


ボクシングジムの忘年会があったときなんかは男の人と肩がぶつかり、あわやブン殴るところでした。


周りの仲間は必死に止めていましたね。


きっとこのブログを書いてる今もお酒をたらふく飲んでるんだと思います。


そんなタフネス&破天荒先輩は意外にも頭が良かったのです!!


あ、意外にもは失礼ですね(笑)


大学は日本ではそこそこ名の通った理系の大学出身で、しかも正社員として働きながらプロボクサーをしていたのです。


先輩いわく昔から勉強はしたことないけど、クラスの中で出来た方だったと言っていました。


ただ、学校での素行が悪すぎて推薦してもらえなかったとのことでした。


つまり昔は不良少年だったみたいです。


たまにいますよね。


ヤンキーなのに勉強が出来た人って。


何より凄いのは正社員をしながらボクサー生活をしていたことです。


これは本当に器用な人だと感じました。


ジムにいるボクサーのほとんどがフリーターでアルバイトをしながらボクサーとして頑張っている中、先輩はいつも仕事帰りにスーツ姿でジムに来ていました。


ちなみに先輩の仕事は営業。


営業成績も良かったみたいで、試合には上司や同僚が見に来ていました。


そんな器用な一面もあった先輩ですが、いよいよ引退のときが訪れました。


最後の試合、この相手も後の日本チャンピオンであり世界ランカーにもなった選手ですが、その相手のパンチで眼底骨折をしまい手術することになったのです。


手術をしたあとのリハビリ生活が長いことと、年齢的にも待っていらないことから遂に引退を決意されました。


ただ、ここまでの強敵と激戦を繰り返してきたんだから僕としては後悔はないだろうと思いました。


引退した翌年、先輩はあっさり公務員試験を通り今では市役所職員として働いています。


まったく破天荒なのか頭がいいのか、よく分からない先輩でした。